ふるさと納税の本来の趣旨は何だったのか?
衰退するふるさとや地方を応援したい都会の住民
私は今年でアーリーリタイアします。
来年からは、ほぼ無収入になるので、ふるさと納税を利用するのは今年で最後になります。
しかし、最近のふるさと納税をめぐる不公平論には、ものすごく疑問を感じています。
私は地方で育ち、大学から東京に住み続けています。
帰郷するたびに感じるのは、若者が生活のために大都市圏に就職してしまい、ふるさとは高齢化し寂れていく現実です。
さらに、若い頃、旅行した思い出の地(例えば清里)も、いまや観光客もまばらな悲惨な場所に変貌しています。
もちろん、寂れるのは、その自治体の自己責任の面もあります。
しかし、自己責任だけでは突き放せない深刻な事情が日本には存在します。
それは少子高齢化と大都市の圧倒的なパワーです。
東京は巨大な消費地ゆえに、お金が集まります。お金が集まるところには人も集まります。
そこに昨今の少子高齢化が追い打ちをかけます。
地方はますます寂れ、東京は肥大化し続けています。
しかし、東京に住んでいて実感するのは多額の税金は集まる都市自治体の知恵のなさとサービス精神の希薄さです。
民間企業の各種サービスは無料化・IT化が進んでいるのに、自治体の窓口サービスは従来と変わりません。
住民票や納税証明書など各種証明書を発行するのも、毎回、手数料を取られる始末です。
基本料(住民税)を徴収し、各種サービスごとに別途料金(手数料)も徴収するのですから、これは窓口サービスではなく、立派な窓口商売です。
国民が自分で選ぶ納税先と使い道
衰退し続ける故郷と肥大化し続ける東京・・・
この現実を前に、ふるさと納税は「生まれ育ったふるさとに貢献できる制度があってもいいのではないか」という問題意識で始まりました。
地方自治体に納税すれば、その土地の特産品など返礼品をもらえる制度です。
ふるさと納税制度は、「生まれ育ったふるさとに貢献できる制度」、「自分の意思で応援したい自治体を選ぶことができる制度」として創設されました。
自分の生まれ故郷に限らず、どの自治体にでもふるさと納税を行うことができますので、それぞれの自治体がホームページ等で公開している、ふるさと納税に対する考え方や、集まった寄附金の使い道等を見た上で、応援したい自治体を選んでください。(出典:総務省)
この制度の登場で、3つの利点が生まれました。
- 地方の農村などが地場産品を売り込もうと競争意識が芽生え活性化した
- 都市住民が自分の故郷やゆかりの地を自分で選択して応援できるようになった
- 人口の自然増に安住していた都市自治体がサービス充実を考える契機となった
地方が活気づき、納税者は選択の幅ができました。
税収減に直面した東京23区など大都市の自治体も、ようやく重い腰を上げて住民サービスを考えるようになったわけで、良いことばかりの制度なのです。
そこに突っ込んできたのが「不公平論」なのです。
私がこの問題提起を最初に目にしたのは新聞の記事でした。
簡単に言うと、ふるさと納税は納税できない人は何ももらえず、金持ちだけが得する制度ではないかという視点です。
「何か、おかしい?」
納税額の少ない弱者の立場にたった記事ですから、弱者の味方として記者の心に響いたテーマなのかもしれません。
それはそれでひとつの考え方ですから尊重するとしても、若者を大都市に吸収され、衰退する地方に対する視点は、どこに行ったのか?
他のメディアも、この不公平論に乗じ、少子高齢化による地方の衰退という日本全体の現状を無視した損得論が拡大しました。
ふるさと納税に損得論は筋違いではないのか
ふるさと納税批判の根底にある精神
総務省は9月に全国の自治体に対し、返礼品額の比率を寄付額の3割までにとどめるように要請しました。
総務省が調査したところ、9月1日時点で、還元率3割を超す返礼品を送っている自治体は246団体に及んだということです。
寄付額の5割に相当する商品券を返礼品として送っていた自治体もあり、今後は寄付額の3割を超える商品券や食事券、家電やパソコン、時計など換金性の高い返礼品は減少していきそうです。
返礼品の価値が高ければ高いほど自治体に落ちるお金が減るという批判や、換金性の高い商品券などの返礼品は富裕層優遇になるという批判など、ふるさと納税をめぐっては様々な批判がなされてきました。
それを受けた総務省の規制ですが、富裕層の優遇批判は嫉妬以外のなにものでもありません。
多くの納税をしている人たちなのだから、そのくらいは許容しようという寛容の気持ちさえあれば、議論に時間を要するのは無駄です。
もうひとつの還元率が高まれば、自治体に落ちるお金が減って、儲かるのは仲介業者や商品提供業者だけという議論もわからないではありません。
しかし、これこそ自治体の自己責任の問題です。
過剰な還元率で最終的に損失を負う自治体があれば、それは首長の責任であり、首長選挙で落とせばいいのです。それが民主主義の基本です。
嫉妬の文化は才能や発展を阻害する
日本は米国と違って成功者を素直に讃えようとしない文化があります。
成功者やお金持ちを嫉妬し、スキあらば批判する文化です。
とくにメディアには、スポーツや文化の世界で成功した人に対して、当初は持ち上げますが、落ちぶれると、川に落ちた犬は叩けとばかりにあら捜しに躍起になる傾向があります。
長い歴史で稲作共同体の文化で培われた平等の精神が根底にあるのかもしれません。
しかし、日本が世界標準で競争をする中で、嫉妬文化では有能な人材や成功者が成長する土壌は生まれません。
「他人は他人、自分は自分」という寛容と達観があれば、ふるさと納税の不公平論は些末なことに感じるはずです。
ふるさと納税は、大都市に集中しがちな富を国民の選択で故郷にも分け合いましょうというのが基本理念です。
根底には、国民が税金の納付先を選べる税の民主主義も内包し、すばらしい発想で始まった制度だと思います。
この制度を受けて、地方の自治体は創意工夫を凝らして都市住民の支持を得る競争を繰り広げています。
感心するようなそうう工夫や産品を生み出している自治体もあります。納税者の支持を勝ち取った自治体には寄付が集まるし、地域住民は潤います。
一方、住民サービスを工夫せず、豊富な税収に安住していた東京23区から、納税額が減るのは当然の帰結です。
今回のふるさと納税に対する総務省の規制が、地方の創意工夫ややる気を削ぐことがないよう祈るばかりです。