樹木希林さんの名言すぎる名言に教えられた【映画あん】

生活
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樹木希林さんの名言に沈思黙考した

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「おごらず、人と比べず、面白がって平気に生きればいい」

やはり、人生の先輩は、自分よりも一歩も二歩も幸せな生き方を深いところで知っていると思いました。

きょう、散髪屋さんで週刊誌を読んでいたら、9月30日に営まれた女優・樹木希林さん(享年75)の告別式の様子が掲載されていました。

私の目を引いたのは、喪主代理に立った娘・内田也哉子さん(42)の挨拶全文です。

読み進むと、次のような文面がありました。

絶妙なバランスが欠けてしまった今、新たな内田家の均衡を模索するときが来てしまいました。

怖気(おじけ)づいている私はいつか言われた母の言葉を必死で記憶から手繰り寄せます。

『おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きればいい』

「おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」
 
あまりの至言に「う〜ん」と唸ってしまいました。そして深く考えました。

「面白がって平気に生きる」という人生観

私は10月5日に「他人と比較しない人生を送ると幸せになれる」と題して記事を発信しました。

そこには、他人と自分を比較する人生はやめて、「他人は他人、自分は自分」と思って生きていけたら幸福感が芽生えるはずだと綴りました。

【リタイア】他人と比較しない人生を送ると幸せになれる
リタイアは多様な生き方を知る入り口 子供の頃に植え付けられた競争意識 私達は小学校の頃から学校の試験や受験で点数を競うことを教えられてきました。 学校の先生が教えたことをどれだけ理解したのか確かめるのが、試験です。 早い人は私立の小学校や中学校の入学試験を受け、そこで競争社会を経験し始めます。 そこにあるのは、他人との競争であり、歴然とした順位です。 私は受験や試験が学習意欲を高める有効なツールのひとつだと考えています。 しかし、子供の頃に植え付けられた競争意識が人生観にまで影響を及ぼしているのではないかとも感じるのです。 大学受験を終えると、次は就職試験、入社すると部内評価や社内での昇進・・・いつまでも競争です。 競争の末に芽生えてくるのは、自分と他者を比較する精神です。 他人と比較する人生観に幸福感は薄い 私も、他人と自分を比較して、いまの自分は恵まれた状態なのか、まだまだ頑張らないと...

樹木希林さんの言葉は、娘に幸せに生きるための心の持ちようを伝えたものです。

何者にも代えがたい一人娘ですから、おそらく、短い言葉の中に渾身の意味を込めたはずです。

ただ他人と比べないだけでなく、面白がって平気で生きればいいという、もう一歩踏み込んで、前向きに生きる術(すべ)も伝えているのです。

「他人が何と言おうと、自分がやりたいことを面白がって平気で生きていきなさい」

この言葉は、人生の深淵を経験した人だからこそ言える至言だと感じました。

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生きるってことは物凄く難しいこと

最後の主演作「あん」は女優・樹木希林の集大成かもしれない

最近の日本映画で心に残った作品を挙げろと言われたら、間違いなく2015年に上映された樹木希林さんの主演作「あん」を挙げます。

とても深いストーリーなので、少し説明しますね。

どら焼き屋の雇われ店長・千太郎(永瀬正敏)のもとに、ある日、徳江(樹木希林)という手の不自由な77歳の老婆が現れる。「時給300円でいいからバイトに雇ってほしい」という。当初は聞く耳を持たなかった千太郎だが、徳江から手渡された手作りのあんを舐め、その味に驚く。常連の中学生ワカナ(内田伽羅)の勧めもあって徳江を採用すると、どら焼きの旨さが評判となり、店は大繁盛した。しかし、店のオーナーは徳江がかつてハンセン病だったという噂を聞き、千太郎に解雇を迫る。事態を察した徳江は静かに店を去っていった。徳江を追い込んだという自責の念に苦しむ千太郎はワカナとともにハンセン病感染者を隔離する施設に向かった。しかし、徳江は3日前にすでに亡くなっていた。ただ、千太郎はカセットテープに残されていた徳江の言葉を聞く。そこには・・・・

この作品には、隔離された施設で人生の大部分を過ごした徳江を通じて、自由に自分の好きなことをやれる人生が、いかに大切なのか、教えてくれます。

その意味で、樹木希林さんの最後の主演作になった映画「あん」は、生きる辛さや生きる意味といった重いテーマを問いかけているのです。

しかし、その答えこそ、樹木希林さんの名言「おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」という人生観の中にあるのではないかと感じるのです。

リタイア生活は自分の好きなことを自由にやる

いま、リタイアを前にして、いかに、自分の好きなことを自然体で楽しもうかと考えています。

政府のいう「人生100年時代」とか「高齢でも働こう」とか「いまや70代は高齢者ではない」といった掛け声は、全く耳には入りません。

その掛け声にあるのは、人手不足の解消策としての高齢者の再雇用であり、年金の給付開始年齢を一層延期するための洗脳的フレーズに聞こえるからです。

自分の生活は自己責任で守り、やり残したことをやり尽くして、静かにこの世を去っていきたいと考えています。

多くのサラリーマンが生活のために理不尽なことも我慢して、毎日、会社と自宅を往復し、人生の時間の大部分を消費しています。

せめて、会社から解き放たれたリタイア生活だけでも、自分の好きなことを自由にできる幸福感を実感してほしいと願っています。

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