日本を代表する別荘地・軽井沢も買い手が不在の時代
別荘ブームはバブル期の象徴だった
日本がバブル経済の入り口だった1987年11月、原田知世主演の映画「私をスキーに連れてって」が公開されました。
冴えない商社マンがゲレンデで同じ会社のOLに出会って一目惚れし、繰り広げられる恋愛映画ですが、美しい雪のゲレンデと「恋人がサンタクロース」など松任谷由実の挿入歌が相まってスキーブームの引き金になりました。
当時、スキーブームと同時に到来したのがリゾートマンションブームです。
サラリーマンでもローンで買えるとあって、山の中に建設されたリゾートマンションが億ションとして売られるなどリゾート物件はバブル期を象徴する不動産商品でもありました。
苗場などスキーリゾートとともにバブル化した別荘地と対照的に、日本を代表する伝統的な別荘地といえば、軽井沢です。
バブル崩壊後、各地のリゾート物件は酷いほど大暴落しましたが、軽井沢は政財界の著名人やIT長者や医師ら富裕層の間で売買されることもあって、長年、持ち堪えてきた別荘地でもありました。
しかし、とうとう、そんな軽井沢神話も終焉しつつあります。
高級別荘地・軽井沢でも買い手不在の報道
ライフスタイルに知的な刺激を提供する無料情報サイト「NIKKEI STYLE」が、軽井沢の超一等地であっても売り物件が目立ち、買い手がつかない状況になっていることを報じました。
日本を代表するリゾート、長野県軽井沢(長野県軽井沢町)の別荘地で異変が起きている。政財界の著名人の別荘なども建ち軽井沢のなかで最も地価が高いとされる旧軽井沢やその隣接地域の超一等地でも売り物件が目立ち、なかなか買い手がつかないという。高級別荘地の代名詞、軽井沢でいま何が起きているのか。(出典・NIKKEI STYLE マネー研究所「売られる別荘地軽井沢、買い手なく 創業者ら遠のき」)
バブル期のころ、軽井沢別荘地は一等地の旧軽井沢近辺で1坪200万円台。東京都内並みの地価の時期もありました。
しかし、その後、日本経済の衰退とともに地価も下落し、最近は1坪20万円と1割まで急落しています。
それでも、別荘地は建蔽率や容積率が低めに規制されているため、300坪(約1000m2)単位で購入するのが一般的。このため、坪単価20万円に不動産価格が下がったと言っても土地だけで6000万円が必要なため、普通のサラリーマンにはなかなか手の出ない水準です。
では、なぜ軽井沢の高級別荘地が買い手不在の状況に陥っているのでしょうか?
私が軽井沢別荘地を買わなかった理由
ブランド力の低下に加えて強気の売り手と減少する買い手
バブル崩壊後、軽井沢は中国など海外富裕層の引き合いが目立った時期もありました。
しかし、「NIKKEI STYLE」の記事によると、かつては超一等地は売り手が自分の名前の表面化を嫌って内々で売買されましたが、最近は数億円といった資金を用意できる買い手は不在で、結局は売り物件として表面化したとみられています。
軽井沢は医師が買い手となることも多いのですが、彼らの予算は土地・建物合わせて7000万円前後だということで、とても超一等地の買い手とはなり得ません。
しかも、売り手は借金の返済のために別荘地を売却しているわけでもありませんから、言い値を下げないといいます。
このため、売り手と買い手のミスマッチが生じていると思われます。
もうひとつ重要なのは、最近は若い人が車を買って別荘地に遊びにゆくことが決してステータスではなくなりました。
バブル期のように、モテるために車を買うといった短絡的な若者が少なくなったのです。
車と別荘は対のような関係です。軽井沢ブランドもかつてほど憧れではなくなり、当然、需要も減ったものとみられます。
私が軽井沢の別荘を買わなかった理由
私は30代から40代にかけて軽井沢で別荘を購入しようと物件を探したことがあります。
しかし、最終的に思いとどまりました。
その理由は・・・・
- 将来的に別荘地の管理・メンテナンスが面倒になりそうだった
- 売れ残った場合に子供達に負の遺産を残すことになる
- 自宅と別荘の行き来に要する時間がもったいない
- リゾートは所有よりもユース(ホテルや貸し別荘)が気楽
- 東京好きの妻が反対した
私は何度か実需用の戸建てやマンション、投資用物件や別荘など不動産を売買しましたが、正直言って、不動産は買うより売る方が難しいものです。
とくに、いまは少子高齢化が進んで経済状況が長期右肩下がりの時代。不動産を買ってくれる人は年々減少することが予想されます。
収益を生み出す投資用物件ですら、売却は簡単ではありません。贅沢品である別荘はなおさらです。
若い頃は家族の思い出作りに別荘も悪くないと思った時期もありました。
しかし、早期リタイアした現在、持たざる身の方が気が楽だと実感しています。