人間には体の定年だけでなく心の定年もある
人手不足を優先した70歳定年論議
最近、65歳定年制に向けた動きが本格化したと思ったら、早くも「70歳定年」という驚きの議論が浮上しています。
「冗談じゃない。60前に早期退職して第2の人生を楽しもうと思っているのに!!」
と驚愕する人も少なくないと思います。私もその一人です。
この70歳定年論。様々な意見を見ていると、個人の人生より、将来の人手不足の解決策のひとつとして議論されています。
そこには、個人が幸せな人生を全うするために、どんな人生設計が望ましいのかという視点が見えません。
何よりも、人間の心の変化を無視しているように思えます。
元上司の意外な言葉
私が40代前半のころ、非常に有能な57歳の元上司がいました。
しかし、徐々に会社内のポジションは本流ではなく、横にそれていきました。
ただ、当時の会社の状況を考えると、彼が会社の中心となって舵取りするのが最善と考えていました。
そして、彼がより上のポストを目指しているものだと思い込んでいました。
ある日、二人で会食した際、私は不遜にも自分の気持ちを伝えました。
すると返ってきたのは、意外な言葉でした。
「俺はもう意欲も気力もないんだよ。静かに会社を去っていきたいんだ。これは本音ですよ」
その後、彼は会社から提示されたポストを断り、静かに会社を去っていきました。
退社して半年後、彼から手紙が届きました。
そこには、小さな会社を立ち上げたこと、人生の最終章は好きなことをして生活を楽しみたいことなどが書かれていました。
50代に訪れた心の定年
自分が同じような年になって、彼の言葉が分かるような気がします。
「企業の利益のために、貴重な時間を費やす人生でいいのだろうか?」
人間の心というのは単純ではありません。
子供が育ち、独立が近づくにつれて、働く意味や生きる意味を考えるようになるものです。
人生の残された時間を逆算するようにもなります。
自分を引き立ててくれた元上司たちの訃報も届き始めます。
その享年を見ると、自分の残された時間も、そんなに長くはないことに気づき始めます。
すると、残された時間で、若い頃や学生の頃、子供の頃、やりたかったことを思う存分やってみたいという気持ちが湧いてきます。
そのとき、私は「体の定年」だけでなく、「心の定年」もあるのだと気づいたのです。
70歳定年制の行き着く先は?
会社の道具としての70歳定年制か
AI=人工知能の進化で、人工知能が人間に代わって高度な知的作業をこなしてくれる時代がすぐそこまでやってきています。人工知能が判断し、人間が人工知能の判断に従う時代の到来です。
一方、人間は、というと、高齢になると、判断力も鈍り、身体能力も低下します。
ですから、60歳以上の高齢社員が任される仕事も限られてきます。
単純な事務作業か警備・守衛的な仕事です。
さらに、かつての部下にこき使われることになります。
自分のプライドを傷つけられることもあるでしょう。
高齢社員はプライドは捨てたほうがいいと言われますが、人間はそんなに単純に割り切れる動物ではありません。
健康寿命の間際まで、心に傷を負い低賃金で働く定年延長が人生を本当に意味で幸せにするのでしょうか?
企業もまた、使い物にならない高齢社員の再雇用を必要としているのでしょうか?
誰もが抱く疑問です。
出口は年金支給年齢の先延ばしか
70歳定年制の先には、何があるのか?
その点も気になります。
70歳定年制の論議を考えるまでもなく、すでに65歳定年制の導入で起こったことを見ると、一目瞭然です。
それは、65歳定年とセットで、年金の支給開始年齢が60歳から65歳に延びたということです。
5年延びたということは、仮に年間支給額が200万円だとすると、1000万円も減額されたことに等しい計算になります。
お上にとって、これほどの年金資金を節約できるわけですから、お得な制度設計です。
一方の我々庶民は「少子高齢化」や「人生100年時代」という言葉を刷り込まれていきますから、いつしか「致し方ないかな」という気分になるものです。
それでも、物申したい!
「死ぬまで働け」という時代は御免こうむりたい!
そう考えるのは私だけでしょうか?