人生は幸福を求める連続!歴史は幸福フィクションの戦い
聖夜に考えたい「本当の幸福とは何か?」
12月も後半、至る所に綺麗なイルミネーションが飾り付けられ、街はすっかりクリスマス気分になりました。
どんなお金持ちであっても、どんなに貧困な人であっても、聖夜は等しく訪れます。
我が家では、私以外は全員、カトリック系の学校出身です。
そのため、聖夜は静かに慎ましく過ごすことを常としています。
小さなケーキと質素な料理。家族で食卓を囲むだけで十分幸せな気分になれます。
人々が等しく追い求めるもの。それは「幸福」です。
人類の歴史は権力者が幸福を求め続けた歩みだったといっても過言ではありません。
戦争に勝利すれば、権力者だけでなく、兵士も論功行賞で豊かになれると信じていました。
会社の業績が上向けば、社員も給料が増えると信じて働いている現代と心理的には同じです。
サラリーマンである以上、働き方改革が叫ばれても心をすり減らす連続です。
成果主義が進んでいますから、年功序列・終身雇用時代より、むしろ精神的な負担感は重くなっているかもしれません。
幸福論を日常生活でも考えてみます。
なぜ、モノやサービスを欲するのでしょうか?
商品やサービスを購入すれば、小さな幸福を実現できると思うからです。
洗濯から乾燥まで全自動でやってくれる洗濯機は、自由な時間を増やしてくれるはずです。
高級ホテルのスイートルームに宿泊すれば、短時間であっても富裕層のような気分に浸れるはずです。
ですから、一生懸命働いて豊かになることが幸福への道だと多くの人たちが信じています。
しかし、本当に、そうなのでしょうか?
今回は、本当の幸福を考えることで、後悔のない人生に必要なことをシェアしたいと思います。
仏門に入った大企業の経営者がいるのはなぜか?
かつて、私がお世話になっていた財閥系大企業の経営者が突如、仏門に入って驚いたことがありました。
サラリーマンなら、出世して、あわよくば社長・会長まで上り詰めたいと考えるものです。
しかし、運良く頂上に上り詰めても、そこから見える光景は自分が期待していたものとは違っていたということもあるようです。
むしろ、様々なしがらみや感情にがんじがらめとなり、「この程度のものだったのか」と落胆する人もいるものです。
その結果、名誉やしがらみを捨てて、仏門に入って自問自答する。
人間の幸福というのは一筋縄ではいかないものだと思ったものです。
科学技術が発展する以前、人々に大きな影響を与えていたのは宗教でした。
宗教が国を支配するまで権力を握ったのは、宗教の教えが苦悩や苦痛からの解放や幸福への道を説いたからです。
宗教には数多くのフィクションが溢れていますが、それでも人々は幸福を求めて信じようとしました。
科学の発展で宗教のフィクションが白日のもとにさらされると、次に登場したのが資本主義でした。
産業革命によって大量資本を投下した資本家が覇権を握る資本主義、さらには生産や消費を拡大するため植民地を拡大する帝国主義の時代が到来しました。
資本主義は、労働者にとって、多くの商品を生産すれば、豊かになるというストーリーの上に成り立っています。
しかし、現実は劣悪な労働環境と低賃金。資本主義もまたフィクションを内包した宗教だったのです。
労働者の不満が高まると、今度はマルクスが「素本論」で、資本主義の幻想を暴き、すべての労働者が平等な社会主義を説きました。
しかし、社会主義を取り入れたソ連や中国の実態は、誰もが平等という社会主義もまたフィクションだったことを白日のもとにさらしました。
また、ヒットラー率いるナチスドイツは、優越する人種が劣等人種を駆逐する進化主義を唱えましたが、これには資本主義と社会主義の両陣営が共闘して阻止しました。
まさに、人類の歴史は幸福の獲得をめぐる戦いの連続だったともいえます。
自由な生活を実現して分かった「本当の幸福とは何か?」
本当の幸福は実践者に学ぶのが近道
私が学生時代に愛読していたのは哲学者バートランド・ラッセルの著書でした。
第3代ラッセル伯爵、バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(英: Bertrand Arthur William Russell, 3rd Earl Russell, OM, FRS、1872年5月18日 – 1970年2月2日)は、イギリスの哲学者、論理学者、数学者であり、社会批評家、政治活動家である。ラッセル伯爵家の貴族であり、イギリスの首相を2度務めた初代ラッセル伯ジョン・ラッセルは祖父にあたる。(中略)生涯に4度結婚し、最後の結婚は80歳のときであった。1950年にノーベル文学賞を受賞している。(出典:Wikipedia)
ラッセルは自由主義者であり、無神論者でもあり、現実的な平和主義者として知られています。
第一次世界大戦では非戦主義を唱え、マルクス主義には批判的な姿勢を示し、第二次世界大戦では非戦主義とは真逆にナチズムに対する徹底抗戦を唱えました。
もうひとつ、ラッセルは人道的な理想や思想の自由を尊重した数多くの著書も発表していてノーベル文学賞を受賞しています。
日本では大学受験に備えてラッセルの文章を勉強した人も多いと思いますが、私もその一人でした。
そのラッセルが「幸福論」の中で幸福になれた理由として次の三点を挙げています。
- 自分が一番望んでいるものが何であるか発見して、徐々にそれを数多く獲得したこと
- 望むものの中で本質的に獲得できないものは上手に捨てたこと
- 自分の欠点に無関心になることを習得し、自分の注意を外界の事物に集中したこと
ラッセルが示した幸福になれた3つのポイントは、とても示唆的であり、私が最も欲しかった「自由な生活」を実現できたベースになったと考えています。
私が幸福になるために考えたステップ
私はサラリーマン時代、「幸福論」を参考に、次の3点を心がけました。
- 自分が本当に望むことを列挙して着実に獲得努力を継続する【幸福感の獲得】
- 望んでいても実現できそうにないことは自分の意識から外す【現実的な目標設定】
- 政治・経済・社会など世の中の動きに関心を抱き続ける【知る喜びと社会貢献】
私が望んだことは、何と言っても「自由な人生」です。その自由な人生を手にするためには「経済的な基盤」が必要です。
しかし、坐していても自由に生きれるほどの経済的な基盤は生まれません。
ですから、経済的基盤を築くために「副業」が重要だと考えました。
この3つの獲得が幸福への道だと考え、その他のことは自分の意識から外しました。
もしも、サラリーマン時代に社内の出世を目指していたら、現在の自由な人生は獲得できていなかったと思います。
自分にとって何が幸せなのか?
幸福の価値観は人それぞれです。
ですから、まずは自分に自問自答して最も望んでいることを選択し絞り込むことが重要です。
そのうえで、あせらず、ひとつひとつ獲得していけば、最後の目標地点に誰でもたどり着けるはずです。
ただ、私にとって目標に向かって努力している頃は幸福でした。
自由な人生を実現するためにコツコツ副業を続け、その成果が出始めたときに充実感を感じていたからです。
あの達成感やワクワク感は、いまでも忘れません。
自由な人生を送っているいま、幸福は目標を目指して努力している過程にそこ存在していると感じています。