なぜ低機能・高価格なライカを購入するのか?
クルマが買えるほど高額なライカ沼に入り始めた
今年初め、今年買いたいものベスト5を紹介しました。
その中で一生買えないかもしれないと思い、5位にしていたのがライカM10でした。
本体だけで100万円近く、標準的な単焦点レンズ(35㎜と50㎜)を揃えると、合計150万円を超える超高級カメラです。
要するに、ライカM10で国産自動車が買えるわけです。
先日、その購入に向けて一歩を歩み出しました。
まずは、50㎜レンズ(Leica SUMMICRON-M f2/50mm(6bit))を注文しました。到着後は、マウントアダプター(マウントアダプター TECHART LM-EA7 ライカMマウントレンズ – ソニーα.Eマウント)を介してソニー α7IIIに装着したいと思います。
そのあと、本体のライカ M10、次に35㎜レンズ(LEICA SUMMICRON-M 35 mm f/2 ASPH.)を手に入れる予定です。
もちろん、購入は10〜20%ポイントバックされる楽天市場で楽天カードを使って購入します。これは高価なものを買うときの鉄則です。
決して高機能ではないライカの沼に入る理由
ライカはソニーやキャノンなどカメラメーカーが発売するミラーレスカメラと違って高機能ではありません。
いまやデジタルミラーレスカメラの常識はオートフォーカスですが、ライカにはその機能はなく、自分でピントを合わせる必要があります。私が購入予定のM10には動画の撮影機能もありません。
にもかかわらず、いま大人気のソニー α7IIIの4倍ほどの価格です。暴力的な価格といっていいかもしれません。
今回、私が購入した単焦点レンズ(Leica SUMMICRON-M f2/50mm(6bit))も30万円近くします。国内メーカーなら最高級のズームレンズが買える価格です。
カメラに興味のない人には最悪の散財だと感じると思います。
理想の早期リタイアは投資よりも消費
ライカを買う理由は男のロマン?
なぜ、ライカのような暴力的な高価格のカメラを購入するのか?
それは男のロマンとしか言いようがありません。
最近のミラーレス一眼カメラは多様な機能が備わっています。それをすべて使いこなしている人はプロカメラマンでもいないと思うほどです。
かつてフィルムカメラで著作物に写真を掲載していた私でさえも、最近の最新型カメラは使いきれないほど高機能で、撮影に集中するために全オートで撮影しています。
ユーザーの希望を愚直に取り入れていくと、必然的に機能てんこ盛りのカメラになってしまうのだと思います。
先日購入したライカC-LUXは、超小型ボディーでありながら、焦点距離は24〜360㎜まで撮影でき、動画もOKです。
スナップはフルオートに設定して撮影していますが、これはこれで実に便利だと思います。
しかし、100万円近いライカM10は、むしろ機能を減らす、引き算のカメラです。
自分でフォーカスを合わせて一枚一枚丁寧に撮影しなければいけません。
動画を撮りたくなったら、iPhoneか、別のカメラを使うしかありません。オートフォーカスや連写枚数を競っている国内メーカーとはまったく逆方向です。
好意的に言えば、引き算の美学を感じます。
もっとも、フィルムカメラで撮影していた頃はオートフォーカス機能はなかったし、動画が撮れるスチールカメラなんて存在しませんでした。
もうひとつは、ライカの作り出す絵作りの素晴らしさです。これに対抗できるのは、おそらく国内メーカーではフジフィルムしかないと思います。
いま、最も楽しみにしているのは、ライカM10を購入したら、新たにカメラブログも開設するということです。
すでに独自ドメインを取得し、レンタルサーバーにはWordPressをダウンロードしました。
東京五輪に向けて変貌する東京の姿を散歩しながら撮影し、自分の目で見た東京の姿をブログに残していきたいと考えています。
退職金は投資ではなくローン返済とライカに使う理由
今回、ライカの購入資金は退職金を当てようと考えています。
すでに早期リタイアの準備資金は貯めてあるので、退職金の半分は住宅ローンの返済(2000万円)にあて、残りは趣味に使う予定です。
まさに「ザ・散財」というわけですが、下手な投資でお金を失うよりはまだマシだと考えています。
早期退職して実感するのは、リタイア生活に必要なのは「家と食事と趣味」だということです。
家と食事は雨風をしのいで食べていかなければ死んでしまうので当然のことですが、これは私の会社の優秀な若い社員たちが食べさせてくれています。
あとは趣味の充実が最大の課題だと思っています。
常々、安定収入と退職金のあるサラリーマンを辞めずに、副業で金融資産を構築し、自分の会社を持つのが、理想的な早期リタイアだと述べてきました。
早期退職したいま、日々、その考え方は間違いではなかったという思いを強めています。