会社組織から外れて生きるのが怖いと感じる最大の理由
映画「七つの会議」にはサラリーマン共通の悲哀が描かれている
先日、妻とドライブがてらに池井戸潤原作の映画「七つの会議」を見てきました。
監督は「陸王」や「下町ロケット」「半沢直樹」などTBS日曜劇場で人気ドラマを手がけた福澤克雄氏。慶應義塾創設者・福澤諭吉の玄孫(やしゃご)で、本人も慶應義塾出身。
この「七つの会議」は、野村萬斎演じる中堅メーカー東京建電の営業一課万年係長の八角民夫を軸にストーリーが展開します。
営業部長の北川誠(香川照之)が推進する売上至上主義のもと、八角の年下課長・坂戸(片岡愛之助)は成績優秀。営業会議では北川部長から賞賛される一方、万年係長の八角の怠慢な仕事ぶりが我慢ならない日々を送っていました。
ある日、坂戸の我慢は爆発し、部下全員の見守る中、八角の勤務態度を大声で非難します。八角は、それがパワハラに当たると開き直り、パワハラ騒動が勃発。査問会議が開かれましたが、なぜか北川部長は成績優秀な坂戸を守ろうとはせず、むしろ坂戸には異動処分が下されます。
坂戸の後任には、万年二番手、北川部長にも会議で怒られっぱなしの原島(及川光博)が着任。しかし、原島は八角の経歴を調べるうちに、かつて八角は群を抜くトップ営業マンだったことを知ります。
八角がなぜトップセールスマンから万年係長になったのか、社内に潜む闇とは何か、原島はその秘密に近づこうとしたのですが・・・・
途中でドロップアウトした八角と、逆に出世街道をひた走った北川部長。同期2人は最後に明暗を分けます。
あなたは会社や出世のためなら納得しがたい仕事でも引き受けますか?
すでに池井戸潤氏が書き下ろした小説が発行されているので、あらすじを知っている人も多いと思います。
しかし、これから映画「七つの会議」を見たい人もいると思いますので、詳しいあらすじは、ここまでにしておきます。
この小説に登場する会社は「東京建電」ですが、池井戸潤氏は「モデルにした会社はない」と話しています。ただ、物語のきっかけは「そば屋で聞いたサラリーマンの会話」とも語っています。(参照元)
八角はかつてトップ営業マンでしたが、会社がデータを改ざんした商品を販売するように上司に命じられました。しかし、八角は拒否。それ以来、20年間、万年係長の処遇を受けることになります。
一方、同期の北川は上司の命令に従い、その後、出世街道を突き進み、八角とは逆のサラリーマン人生を歩んだわけです。
最近でこそ、会社内の不正を通告しても処遇が守られる内部通報者保護法が整備され、企業の不正が次々と明らかになっていますが、それでも会社員が上司や会社の方針に背くのは勇気のいることです。
なぜなら、日本人のDNAには、組織から追放されたら生きていけないという恐怖感が刻み込まれているからです。
弥生時代は集団で農作物を作り、江戸時代は藩の庇護の元で暮らし、いまは多くの人たちがどこかの企業の一員になれば、安定した人生を手に入れることができると信じています。
組織は人生のセーフティーネット(安全網)だと信じていますから、その組織に背くことには本能的に恐怖を感じるのです。
人間は富や名声だけでは満たされない生き物かもしれない
人が最後に手にしたい欲求は何か?
「七つの会議」に登場する万年係長・八角のサラリーマン人生は自分を見ているようでもありました。私も社会的意義を感じない仕事を拒否した不良社員だったからです。
映画では、北川営業部長が部下たちに「商品の性能を売れない理由にするな」と叱咤する場面がありました。型落ち商品や強度に問題のある商品でも情報弱者に売ればよし、とにかく数字を上げた者が勝ちという会社は、少なくないはずです。
私も納得のいかない商品を売ったり、その販売を部下に命じて結果を出して出世したとしても、最後まで心が満たされることはないだろうと思いました。
では、人生の最後に心が満たされるのは、どんな状態なのでしょうか?
サラリーマンの出世欲は承認欲求
アメリカの心理学者・マズローが理論化した「欲求5段階説」があります。
「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮説して、自己実現に向けて満足感を覚える基本的な欲求を、次の5段階に分けました。
- 生理的欲求(食欲や睡眠欲、性欲など)
- 安全の欲求(身の安全や身分の安定など)
- 社会的欲求・所属と愛の欲求(会社や組織などに所属する欲求)
- 承認欲求(名声や出世。会社の高評価や他人からの尊敬)
- 自己実現の欲求(自分に適していることをする欲求)
人間は、まず「美味しいものを食べたい」「たくさん眠りたい」、そして身の安全といった欲求から始まります。それが満たされると、今度は「大手企業に入りたい」「歌手になりたい」という社会的な欲求を求めます。
就職が決まったり、歌手になると、今度は「役員や部長になって尊敬されたい」「人気者になりたい」と評価や賞賛を求めます。
最後の欲求は「自分に一番適した人生」
マズローは、その承認欲求を最後の欲求に定義しませんでした。
それは、富や名声、社会の尊敬を手に入れても、決して人生の満足感は得られないからです。
人間が最後に求めるものは「自分に一番適している人生を送りたい」という、極めてシンプルな自己実現の欲求です。
かつて、私が知るある大企業のトップは引退後に仏門に入りました。過去の人生を振り返りながら、自分にとって本当の幸福とはなんだったのか、自問自答し瞑想していたのではないかと、私は推測しています。
先日、人気アイドルグループ「嵐」が活動休止を発表しました。
リーダーの大野智さんは活動休止の理由として「自分は自由に生活がしてみたい」と語りました。富や名声を手にしても、人間というのは、そこで満たされないことを感じさせる出来事でした。
本当の幸福を実現するために必要なことは何か?
本当の幸福を手にするために常日頃から考えるべきこと
では、本当の幸せ、つまり「自分に一番適している人生を送りたい」という欲求を手にするためにはどうしたらいいのでしょうか?
まずは、自分がいま一番熱中できることは何なのか考えることが大切だと思います。
自分が熱中できることは自分が好きなことです。
好きなことですから、何時間取り組んでも苦痛を感じることはありません。むしろ、脳内にはハッピーな気分が溢れているはずです。
そこに、自分に適している人生の根幹があるような気がしています。
楽器や文筆、教育、料理、パソコン、カメラ、絵画、スポーツやボランティア・・・・
なんでも構わないと思います。何時間取り組んでも苦痛を感じない、むしろ幸福感を感じるならば、それが自分に一番適している人生かもしれません。
自己実現の対象はあせらずゆっくり探すことが大切
しかし、人生の最後まで取り組めそうなことや、時間を忘れて熱中できることが、なかなか見つからないという人は少なくないと思います。
いや、大半はそういう人ばかりではないでしょうか?
好きなことや熱中できること、自己実現できることを、すぐに言える人なんて、そうそう簡単にはいません。
しかし、普段の平凡な生活の中で、ふと時間を忘れて熱中できることに巡り会うものです。そのためにも、一度しかない人生ですから、あらゆることを経験することが大切です。
私も自己実現できそうな事に気づいたのは最近のことでした。
ただ、自己実現できそうな対象に巡り合っても、いまの仕事を捨てて簡単にハンドルを切ることはできないものです。
生活するための経済基盤が必要ですし、安定した生活が見通せなければ、生理的欲求すら満たされない生活に陥るからです。
ですから、いつでも会社組織から外れることができるだけの経済的な準備や副業のスキルを高めておくことが何より重要です。
その準備さえ整っていれば、会社の中に自己実現できるものがないと悟った時、静かにハンドルを切ることができるはずです。