親はどこまで子供の行動に責任を持つべきなのか?
子供の行動に苦労する親は多いのかもしれない
最近、社会的な地位を得た人たちが子供の犯罪や家庭内暴力に直面し、人生が暗転するニュースが後を絶ちません。
私も社会人になった子供を持つ親として黙認することができず、今回、親の責任について考えました。
農林水産省の元事務次官が東京練馬区の自宅で長男を視察した事件ですが、正直なところ、当初、父親に強く同情しました。
44歳の長男が無職のまま実家に引きこもり、父母に対する家庭内暴力に悩んだ末の犯行だと報じられています。
犯行前、元事務次官は息子が近隣の小学生がうるさいと叫んでいるのを見て口論になったともいいます。
その直前、川崎市で引きこもりの中年男が小学生を殺傷した事件が発生し、元事務次官は「自分の息子も同じような犯行に走るかもしれない」と不安を感じたといいう報道も目にしました。
事務次官という中央省庁の官僚トップを経験した人ですから、プライドもあるでしょうから、自分の息子が社会に迷惑をかけることを危惧した心情は理解できます。
もちろん、どんな理由があったにせよ、他人を殺める行為は許されるものではありません。
しかし、単純な正義論では片付けることのできない、心に得体の知れないひっかかりを感じる事件でした。
息子の犯行について謝罪コメントした関西テレビ常務
大阪府吹田市の千里山交番で、33歳の男が警察官を刃物で刺し逮捕された事件は、その後、犯人が関西テレビの常務の息子だと判明し、思わぬ展開になりました。
関西テレビ常務が発表した謝罪コメントをめぐっては、30代の子供の精勤が親にも及ぶのか、ネット上でも賛否両論が渦巻きました。
33歳にもなった息子は立派な大人ですから、親に子供の行為に関する責任はありません。
ただ、関テレ常務取締役という立場上、社会的な責任を感じたのだと思います。
謝罪コメントを発表した心情を思うと、その辛さは痛いほど分かります。
官僚トップの元事務次官とテレビ準キー局の役員。組織人としては成功者ですが、子供をめぐる私生活の面では本当にお気の毒としか言いようがありません。
普通に成長できなかった子供を持つ苦しみと悩み。
多くの国民が、この二つの事件を見て改めて親子の関係と責任を考えたのではないでしょうか。
親の最大の責任は子供に与えすぎないこと
長女の就職が決まって親の義務は果たしたが・・・
6月始め、幸いなことに、就活していた長女の内定が決まりました。
希望の大手食品メーカーから内定をいただき、いまは大学の体育会で最後のシーズンに向け練習ばかりしています。
私は古い人間なので、メガバンクの総合職も悪くはないと思っていたのですが、彼女は食品メーカーを選びました。
長男はすでに数年前から就職しているので、長女の就職を持って、私の親としての義務が終了します。
これからは自分の好きなことに時間と資金を心置きなく割けるわけです。
ただ、先ほどの2つの事件を見ると、経済的な義務は終わったのかもしれませんが、心は完全に解放されないものです。
長男には厳しく、長女は放任主義で育てたのは良かったのか?
本当に自分の教育が正しかったのか?
いまになって、そんなことを考えるようになりました。
しかし、子供の教育だけは正解が分かりません。
私が子供達に何を願って、どんな育て方をしたのか、少しばかり紹介します。
私が公立の小学校にこだわった理由
私は地方の出身です。
私の田舎では高校まで公立に進学するのが一般的でした。
東京の大学に進学以降、ほとんど東京で暮らしていますから、いわば、東京に多い地方出身の東京人です。
一方、妻は江戸っ子です。祖父、父親、本人と親子3代にわたって東京生まれの慶応卒。いわば、生粋の東京人、つまり都会人です。
ですから、子供の教育は、当初、多少の意見の相違もありましたが、最終的には、私の意見を尊重してもらい、長男も長女も公立の小学校に通わせました。
私が勤務していた会社の同僚や後輩は、ほとんどが子供を小学校から私立に進学させていました。
小学校から高額な学費を払える親御さんたちに育てられた小学生ですから、私立小の子供達は比較的裕福な家庭の子が多いはずです。ですから、似たような境遇の子供達が集まります。
一方、公立は誰でも入学できますから、家庭環境や経済状況など境遇が異なります。
私が小学生の頃は、学校に弁当を持ってこれない子や、栄養不足からか鼻水を流しっぱなしの子など、様々な境遇の子供達がいました。
私が自分の子供を公立小学校に入れたかったのは、人々の多様性を知ることが将来の人間形成にプラスになると思ったからです。
ただ、公立小学校を卒業後、長男は中高一貫の私立中学校、長女は大学まで進学できる私立女子中に進みました。
それでも、6年間、公立小学校で学んだ経験は将来、有形無形の人生の糧になってほしいと願っています。
親として余計な経済援助はしない教育方針
一方、妻はお金に厳しい教育を徹底してきました。
毎月の小遣い以外は、一切、余分なお金を渡しません。
私は長女に「お金が足りないの」と言われると、ついついお金を渡してしまいますが、そのあと、妻には「なんでお金をあげたの!」と厳しく怒られます。
妻は「欲しいものがあるのなら、自分で稼いで買いなさい」が口癖です。そのせいか、二人ともアルバイトができる年頃になると、欲しい物は自分で稼いで買うようになりました。
長男は就職してから、毎月、妻に給料の一部を渡しています。
長女も就職して実家を出た場合でも仕送りすると話しています。
もちろん、私たちは彼らから仕送りがなくても十分に豊かな生活はできます。
ただ、今後、子供たちが親への依存心を完全になくし、経済的に自立することが何よりも重要だと考えています。
引きこもり中高年のニュースを見ても、親が生活費を援助することが常態化し、そのことに疑問も抱かず、楽な生活から抜け出せない人が少なくありません。
子供を育てる上で最も重要なのは「与えすぎないこと」だと感じています。
子供が生活費に困窮していたら手を差し出したくなるのが親心です。
ですから、そうした状況に直面したら、ついつい私も援助するかもしれません。
それでも、常に、援助することが子供の自立心を阻害してはいないか考えたいと思います。
果たして、私たちの教育は正解だったのか?
その答えは、数年後、いや、数10年後に分かりますが、少なくとも60点、つまり及第点は取りたいものです。