確かに「お金は人生の目的ではなく道具」である
誰が「お金は人生を楽しむ道具」と言っているかが重要だ
表現の仕方に違いはあれど、「お金は目的ではなく人生を楽しむ道具」といったことが言われます。
一代でパナソニックの前身・松下電気産業を築き上げた松下幸之助さんも「お金は目的ではなく、あくまで道具であって、働く目的は人間生活の向上である」と言っています。
確かに、その通りです。
人々が働くのは他者の生活を助け、向上させるためであり、価値を提供したからこそ、対価をいただけるのです。
最初にお金ありき、お金欲しさだけの商売は、人々の支持は得られません。
価値のないものを販売するのは虚業か詐欺的ビジネスです。いずれ見抜かれ、衰退します。
ブロガーやユーチューバーの間でも「価値を提供し対価をもらう姿勢が大切だ」と言われるのは、まず価値を提供することがビジネスの基本だからです。
価値とは、人生の気づきであったり、困った時の対処法であったり、投資や商売のコツだったり、その中身は多種多様です。
いずれにしても、誰かの人生に役立ててもらえれば、それは価値のあることだと思います。
お金が目的になってお金に支配されている人たち
では、お金を目的にしてはいけないのでしょうか?
お金がなければ、生活を維持できず、生命の危険にさらされます。生きるために誰もが日々、必死に働いています。
お金持ちや慈善家でない限り、無報酬で働く人は少ないでしょう。
お金のために働くことは自然な行為です。お金のために必死で働いている人たちに「お金は目的ではない。人生を楽しむ道具だ」ということには違和感を感じます。
注意すべきことは、お金儲けを優先するあまりに、大切なことを忘れてしまうということです。
たとえば、「稼いだもの勝ちだ」と言わんばかりに、中身の薄い電子書籍を高額で販売している人やインフルエンサーと言われる人たちがいます。
お金には色がありません。どんな形で稼いだものでもお金はお金です。
しかし、手段を選ばずに稼ごうとしている人たちは、お金に人生を支配されている人たちでもあるのです。
「お金は人生を楽しむための道具」という言葉は諸刃の剣
お金に支配されている人ほど「お金は目的ではなく道具」と説く矛盾
「お金は目的ではなく道具」という人たちは、2つのタイプに分けられることに気づきます。
ひとつは、これから儲けようというお金持ち途上の人たちです。
商品やサービスを売る際の殺し文句に「お金は目的ではなく人生を楽しむ手段・道具でしょ」といった言葉を使ったりします。
言葉は間違いではありませんが、使う場面によっては便利なセールス用具になってしまいます。
悪徳宗教者が信者からお金を巻き上げる際の理屈も、この言葉が応用形が使われていると感じることがあります。
もうひとつのタイプは、すでにお金を稼ぎ終わって残りの人生は楽しもうと考えている人たちです。超富裕層や資産準備を終えた早期リタイア組が、このタイプです。
私たちが目指すべき道は、間違いなく、後者です。
お金との向き合い方をギアチェンジする人生がある
「お金は目的ではなく人生を楽しむ手段です」
多くの人たちはこう言えるようになりたいと願っています。
そう言えるまで、お金を儲けることが目的なのは、決しておかしな話ではありません。
むしろ、そのくらいの覚悟でなければ、「お金は人生を楽しむ道具」と言えるだけの蓄財はできないと思います。
無一文では生きていけない以上、人はある時期、お金の奴隷にならざるを得ないときがあるものです。
「お金の奴隷から逃れたい」「いつまでも社畜でありたくない」。
そう願う気持ちをバネに、早期リタイアの準備をスタートした人も多いのではないでしょうか。
お金持ちの家庭に生まれた人でない限り、人生の前半から「お金は楽しむための道具」といえるほどおカネに余裕はありません。
ですから、人生を「前半と後半」、あるいは「初期・中期・後期」と分けて、働き方や生き方をギアチェンジすることが大切だと考えています。
思い立ったら即実行できるかどうかがリトマス紙になる
人生を「前半と後半」の2期に分けるか、「初期・中期・後期」の3期に分けるか、それぞれの会社や家庭の事情や人生観によって異なると思います。
ただ、その期分けは早めに終えて、各期に自分の目標を具体的に書き込むことが重要です。それが人生の予測図となるのです。
人生の予測図ができたら、次は実行です。まず、予測図ができたその日のうちに着手できることはないか考えます。
「もう少し準備が整ってからやろう」
そう考えるようであれば、「お金は楽しむための道具」と言えるリタイア生活を手にする才能に乏しいかもしれません。
なぜなら、「先延ばし」の精神は、年を取るにつれて増幅されるものだからです。
なによりも、本当に、経済的に自立したリタイア生活を欲しているのならば、いますぐ準備に着手したいと思うものです。
お金のために働くのではなく、お金を楽しむための道具にする人生を欲しているのか?
行動を先延ばしするかどうかが、リトマス紙になるはずです。
コメント
こんばんは。
お金にまつわる話にはいろいろ含蓄がありますね。お金に色はついていませんが、苦労して稼いだお金は実際に使う時には物凄く躊躇するものです。特に高額商品を買うときは、それによって得られる満足感と稼ぐための苦労度がバランスしているか、ほんとに悩みますね。思い切りが不足しています。貧乏性なのでしょう、困ったもんです。
こんばんは パルタ7さん
コメントありがとうございました。私は買い物に関しては、自分が幸せになれる消費を心がけています。
幸せになれる消費は人どれぞれだと思います。年収や生活環境、家族状況など、みな異なりますからね。
高級な別荘を買って幸せになれる人もいれば、幸せに感じない人もいます。ポルシェなど高級車やロレックスといった時計も同じです。
そうした商品を欲しがる人もいれば、全く欲しくない、関心のない人もいます。どれを購入すれば正解というものはありません。
私の場合は別荘もロレックスも欲しくはありません。ポルシェは関心はあります。数少ない?物欲がカメラとパソコンなどガジェット類です。
安い方を買って後悔し、結局、高い方を買い直すぐらいなら、最初から欲しかったものを買うようにしています。
消費は本当に難しく正解はありませんが、いらなくなった時に売れるマーケットが存在している商品を購入するようには心がけています。