フリーターもフリーランスも本質は変わらない
就職氷河期世代の老後が危うい!
政府は、現在30代から40代半ばの「就職氷河期世代」にフリーターや無職が多いため、具体的な対策に乗り出しました。
1990年代のバブル崩壊後、新卒採用を抑制する企業が急増しました。
その時期の世代は「就職氷河期世代」と呼ばれ、現在はフリーターや無職だけでなく、多くの中年ニートも生み出しました。
日本は新卒時に正社員で採用されないと、その後、挽回するのは難しい、硬直的で差別的な労働文化が続いています。
フリーターやパートの人たちはその日の暮らしを維持するのが精一杯で、老後は生活保護に頼らざるを得ない人が多いと危惧されています。
就職氷河期世代の人口規模は約1700万人。支援が必要な人たちは約400万人と言われています。その人たちも、もうすぐ50〜60代の高齢者に差しかかっているのです。
フリーランスもフリーターも不安定人生は同じ
会社員だったころ、周囲にはフリーランスで働く人がたくさんいました。
正社員と明らかに待遇格差はありましたが、それでも若い頃は重宝され、本人も張り切って働いていました。しかし、40代半ば過ぎになると、契約を切られ、途方にくれる人は少なくありませんでした。
最近、入社数年で早期退職し、フリーランスという生き方を選択する若い人たちを見ていると、正直、複雑な気分になります。
「若い頃はいいけれど、中高年になったら苦労するだろうな」と感じてしまうのです。
もちろん、就職氷河期世代にはフリーから一念発起して人材派遣会社を経営し、現在は社長として活躍している知人もいます。
しかし、そうした成功者はごく少数者。多くは何処かに消え、連絡が途切れた人ばかりです。
何のための「就職氷河期世代」対策なのか?
「就職氷河期世代」を「人生再設計 第一世代」に変更
正社員の道を絶たれた就職氷河期世代は、その後、苦難に満ちた人生を歩んでいます。
中年になっても親の年金で生活しているニートや、低収入ゆえに結婚できず、日雇いやアルバイトで食いつなぐ人など失望の中で生きている人たちがテレビや雑誌でも報じられています。
しかし、日本社会は「自己責任だ」と放置できなくなっています。彼らが高齢者になったとき、生活保護など社会全体で支えなくてはいけないからです。
このため、政府の経済財政諮問会議は今月10日、就職氷河期世代の支援策について具体的な協議に入りました。
会議では「就職氷河期世代」の呼び方を「人生再設計第一世代」と変更したうえで、次のような支援策が提示されました。(参考:「就職氷河期世代の人生再設計に向けて」)
- ハローワークや大学等が連携して雇用を安定化させること
- 人手不足産業への就職促進
- 中途採用した企業に対する支援助成金の要件を緩和
- 地方への人材移動の促進
3番目の中途採用した企業に対する助成金については、少し説明が必要かもしれません。
厚生労働省は2017年度から「就職氷河期世代」を中途採用した企業に助成金を支給するための予算を計上しています。
しかし、この制度を利用して中途採用した企業はわずか1割以下にとどまっているのです。
- 2017年度 予算5億3000万円→企業の利用765万円
- 2018年度 予算10億7000万円→企業の利用1億2800万円
いま、大手企業を中心に45歳以上を中心にリストラが相次いでいます。
そうした企業の空気とは逆行する制度なのかもしません。
企業に「氷河期世代」の雇用を押し付けず役場で採用してはどうか
どうも、最近の政府は、年金をはじめ社会問題の尻拭いを民間企業に押し付ける傾向にあります。
民間企業での採用が進まないのなら、むしろ、公的機関が就職氷河期世代を積極的に採用することを検討すべきではないでしょうか?
いま、人手不足に悩んでいる地方の役場は少なくありません。
特に、震災の被害を受けた熊本の地元役場は退職する職員が相次ぎ、OBを再雇用するなど、人手不足が深刻だとテレビで特集報道されていました。
民間企業はどうしても費用対効果、つまり収益を考えます。
一方、役場は過疎化に直面し、職員の減少に直面しています。それでも福祉や人助けのための人手は必要です。
経済財政諮問会議は、地方への人材移動の促進をうたっていますが、その人材移動の先は民間企業だけでなく役場を中心に検討するべきだと思います。
「人生再設計第一世代」の呼び方問題の本質
最後に、今回、経済財政諮問会議が「就職氷河期世代」を「人生再設計第一世代」という呼び方に変更したことについて、SNSなどで反発や批判が相次ぎました。
批判の主な要点は次の通りです。
- 言葉遊びである
- 人間をバカにした定義
- 成功者(官僚)の上から目線的な言葉だ
- まるで自分の責任でいまの状態になったような言葉
- 欠陥商品認定のようだ
確かに、私も「就職氷河期世代」という呼び方を変更する必要があるのか疑問を感じました。
なぜなら、「就職氷河期世代」は、経済情勢が最悪のときと就職時が重なってしまったタイミングの悪い世代というニュアンスが込められているからです。
しかし、「人生再設計 第一世代」となると、自己責任というニュアンスを感じてしまいます。
社会的にも定着した言葉を変える必要性はあるのか、はなはだ疑問です。
呼び方は再考してもらうとして、最も重要なことは「就職氷河期世代」のなかで、フリーターや無職、ニートとして生活している人に、どんな対策を講じるのかということです。
これは呼称批判とは別に、冷静に考えるべきことです。
と同時に、最近、流行している「フリーランス」を安易に選択する若い人たちにも危惧を感じます。
彼らが、将来、第2の支援必要世代にならないことを祈るばかりです。