リタイアは多様な生き方を知る入り口
子供の頃に植え付けられた競争意識
私達は小学校の頃から学校の試験や受験で点数を競うことを教えられてきました。
学校の先生が教えたことをどれだけ理解したのか確かめるのが、試験です。
早い人は私立の小学校や中学校の入学試験を受け、そこで競争社会を経験し始めます。
そこにあるのは、他人との競争であり、歴然とした順位です。
私は受験や試験が学習意欲を高める有効なツールのひとつだと考えています。
しかし、子供の頃に植え付けられた競争意識が人生観にまで影響を及ぼしているのではないかとも感じるのです。
大学受験を終えると、次は就職試験、入社すると部内評価や社内での昇進・・・いつまでも競争です。
競争の末に芽生えてくるのは、自分と他者を比較する精神です。
他人と比較する人生観に幸福感は薄い
私も、他人と自分を比較して、いまの自分は恵まれた状態なのか、まだまだ頑張らないといけない状態なのか確認しながら生きてきたような気がします。
「あいつが同期の中で一番の出世頭」
「彼の奥さんの実家は資産家らしいよ」
「彼の子供は東大に入ったそうだ」
サラリーマンの会話の中で登場するこうした会話には、「それに引き換え自分は・・・」という比較する気持ちが込められていることが多々あります。
全てにおいて、自分が他人よりも勝っていることはありえません。
お金だって、どれだけ貯めても、上には上がいます。
他人と比較し、現在の自分を憂える。そうです。自分を不幸な気持ちにしているのは、他人と比較したがる自分自身なのです。
しかし、100人いれば、100通りの幸せがあるはずです。
リタイアを直前に控え、私はそんな考えに変化しています。
幸せを感じる「他人は他人」の人生観
他人と比較しなければ幸福感が芽生える
いま、私の幸せの基準は、家族が健康で自分が好きなことをして生きているかどうか?という一点です。
それ以外のことは気にしないようにしようと思います。
定年退職と早期退職はどちらが幸せなのか?
ネタとしてはブログに書き続けると思いますが、私にとっては早期退職が幸せの入り口だと思っています。
なぜなら、すでに早期退職を選択したからです。
比較しても仕方ありません。
自由に自分の好きなことをやれれば、経済的にやや損であっても、十分に幸せです。
そこには、もう他人と比較する精神は皆無です。
自分は自分、他人は他人なのです。
自分の人生は自分で責任を持つしかありません。
とまらないリタイア生活のプラン
早期退職を決めてから、リタイア後の生活プランをあれこれ考える日々が続いています。
他人と比較する気持ちも湧いてきません。いかに自由な日々を充実させるかということばかり考えています。
「自分の経験や知識が、どうすれば、人様の役に立つのか?」
「残された人生を社会に貢献できるようにするには何をすべきなのか?」
そして肝心な収入ですが、リタイア後はほどほどの収入で充分だと考えています。
お金のことを考えすぎると、現役時代と同じような気分になるような予感がするからです。
自分の趣味の費用や外での交際費や飲食代くらいを稼げればいいのです。
しかし、これだけは言えます。
収入を得るために、再び、他人の下で働くことはないと。
そんなことをしたら、アーリーリタイアした意味がなくなるからです。